簿記の日 (記念日 2月10日)

簿記の日

明治6年(1873年)の2月10日、慶応義塾出版局から一冊の本が世に出た。福澤諭吉がアメリカから持ち帰った簿記の教科書を翻訳した『帳合之法』である。西洋の複式簿記を日本語で初めて体系的に解説したこの書物は、近代日本の商業・経済の礎を築く一冊となった。この日を記念して、全国経理学校協会(現:公益社団法人・全国経理教育協会)が2004年(平成16年)に「簿記の日」を制定しています。

翻訳の原書はアメリカの教育者ブライアントとストラットンが著した簿記の教科書です。福澤は「bookkeeping」という概念を日本語に置き換えるにあたり、当時の商家で用いられていた「帳合」という言葉を選びました。「借方・貸方」という訳語もこの書物で定着したもので、現代の会計用語にそのまま引き継がれています。翻訳の難しさは単なる言語の壁にとどまらず、西洋式の商業概念そのものを日本の文脈に落とし込む作業でもありました。

福澤が簿記の普及に力を入れたのは、実学を重んじるという信念からです。江戸時代に主流だった暗誦中心の漢学的教養を「虚文空論」と批判し、商業や工業、計算に役立つ知識こそが文明開化の時代に必要だと考えていました。『帳合之法』はその思想を具体化した実践書であり、明治5年の学制令で学科目に簿記が加わってからは、文部省版テキストが整備される明治8年まで、学校教育の現場でも広く使われました。

出版から6年後の明治12年(1879年)、福澤は簿記教育の拠点をさらに広げる動きに出ます。簿記学に精通していると聞いた竹田等なる人物を説得し、京橋区南鍋町(現:東京都中央区銀座五丁目)に「簿記講習所」を開設しました。教材にはもちろん『帳合之法』が使われ、開校当日には福澤本人、加藤政之助、吉良亨らが演説を行いました。入学生は500名前後に達したと伝わり、当時の人々がいかに西洋式の商業知識に飢えていたかをうかがわせます。

借方・貸方を左右に並べて記録するという複式簿記の仕組みは、福澤の翻訳から150年以上を経た今も変わらず、現代のデジタル会計ソフトの中に生きています。