菜の花忌 (記念日 2月12日)

菜の花忌

「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」——この自嘲とも謙遜とも取れる筆名の由来に、司馬遼太郎という作家の気概がにじんでいます。2月12日は、その司馬遼太郎が1996年(平成8年)に72歳で世を去った忌日です。菜の花を愛したことと、代表作のひとつ『菜の花の沖』にちなんで「菜の花忌」と呼ばれています。

司馬遼太郎の本名は福田定一。1923年(大正12年)8月7日、現在の大阪府大阪市浪速区に生まれました。大阪外国語学校(後の大阪外国語大学、現・大阪大学外国語学部)蒙古語学科を卒業後、産業経済新聞社に13年間勤務します。この記者時代に同人誌『近代説話』へ参加し、忍者小説『梟の城』で第42回直木賞を受賞。歴史小説に新たな風を吹き込む書き手として頭角を現しました。その後も『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞し、『世に棲む日日』『翔ぶが如く』『燃えよ剣』『坂の上の雲』と大河作品を次々に発表。雄大な構想と読者を引き込む語り口で幅広い層の支持を集め、日本芸術院会員・文化功労者となり、文化勲章も受章しています。

司馬遼太郎記念館の書斎前には直径約1メートルのヒューム管があり、そこに菜の花を植えて春の開花を毎年楽しみにしていたと伝わっています。1997年から毎年この日に開かれる「菜の花忌シンポジウム」では、東京と大阪を交互に会場として、全国から寄せられた約3500本の菜の花が飾られます。会場では司馬遼太郎賞の授賞式も行われ、終了後には来場者へ菜の花が手渡されるのが恒例です。なお、「菜の花忌」という名称は3月12日の詩人・伊東静雄の忌日にも使われており、異なる文脈で同じ呼び名が存在しています。