かの子忌 (記念日 2月18日)

かの子忌

「芸術家・岡本太郎の母」として知られる岡本かの子が、1939年(昭和14年)の今日、49歳でその生涯を閉じました。かの子忌はその忌日にあたります。かの子は1889年(明治22年)、東京市赤坂区青山南町(現・東京都港区南青山)に生まれ、17歳のとき与謝野晶子の門を叩き「新詩社」の同人となります。「明星」や「スバル」に大貴公子の筆名で新体詩や和歌を発表し始めたのがその出発点でした。21歳で漫画家・作詞家の岡本一平と結婚し、翌年に長男の太郎を出産しています。

夫との性格的対立に悩む日々の中で、かの子は仏教研究へと向かいます。「青踏」への参加、歌集『かろきねたみ』の刊行と、文学活動を続けながらも、小説家としての本格的なデビューは晩年まで持ち越されました。1936年(昭和11年)、芥川龍之介をモデルにした小説『鶴は病みき』を発表したのが、作家としての実質的な出発点とされています。

以後、わずか数年のあいだに『母子叙情』『老妓抄』『河明り』『生々流転』などを次々と執筆し、耽美妖艶と評される独自の作風を確立しました。実質的な創作期間は短かったにもかかわらず、死後も多くの遺作が発表され続けたことは、その晩年の執筆エネルギーの凄まじさを物語っています。

かの子の文学は、官能的な美しさと仏教的な無常観が交錯する点に独自性があります。愛欲や生死を正面から描きながら、どこか超然とした視点を保つ文体は、同時代の作家とは一線を画すものでした。『老妓抄』に代表される晩年の作品群は、今日でも近代日本文学の中で高い評価を受け続けています。

歌人から小説家へ、仏教研究者としての側面も持ち、岡本太郎という傑出した芸術家を育てた母でもあったかの子は、いくつもの顔を持つ人物でした。49年という生涯の短さと、その密度の高さは、今もなお読者を引きつけてやみません。

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