強制収容を忘れない日 (記念日 2月19日)
1942年2月19日、フランクリン・ルーズベルト大統領が署名した大統領令9066号により、西海岸に住む日系アメリカ人およそ11万2千人が強制的に内陸の収容所へ送られました。その3分の2以上はアメリカ生まれのアメリカ市民でした。
収容命令が出ると、対象者には数日以内に身辺を整理して集合場所へ出頭するよう通告が届いた。住宅、農地、店舗といった財産はほとんど売り払うことも叶わず、二束三文で手放すか、そのまま失うしかなかった。仮収容施設には競馬場が転用されたものもあり、家族が馬房にそのまま押し込まれた事例が記録されている。
正式な収容所は砂漠や荒野など辺鄙な場所に建設された。有刺鉄線の柵で囲まれ、警備員の銃口は外ではなく収容者側へ向けられていた。各家族に割り当てられたのは一部屋のみの粗末なバラックで、食事は共同食堂、トイレとシャワーは共同施設だった。
大統領令9066号は個人の審査を一切経ずに発令されました。「日本にルーツがある」というだけが根拠であり、スパイ活動や敵対行為の具体的な証拠は問われませんでした。日系人のフレッド・コレマツは命令を拒否して逮捕され、1944年に連邦最高裁で敗訴しましたが、その判決は1983年に覆され、有罪記録は抹消されています。戦後40年以上が経過した1988年にはレーガン大統領が公民権法に署名し、収容政策は公式に不当と認定されました。存命する被収容者一人ひとりに2万ドルの補償金と政府による謝罪文が届けられています。
2月19日は現在「記憶の日(Day of Remembrance)」として日系アメリカ人コミュニティに引き継がれており、各地で集会や追悼行事が開かれる。人種を根拠とした権利剥奪の歴史を記録し続けることが、この日の目的とされている。