丈草忌 (記念日 2月24日)
蕉門十哲のなかで「ことに純粋であった」と後世に評される俳人が、内藤丈草です。1704年(元禄17年)の本日、43歳でその生涯を閉じました。1662年(寛文2年)、尾張国(現:愛知県)に生まれ、本名は本常(もとつね)、通称は林右衛門。尾張犬山藩士として仕えていましたが、27歳のとき病弱を理由に致仕し、家督を異母弟に譲って武士の身分を離れます。出家ののちに京都へ移り、旧知の中村史邦の紹介を通じて松尾芭蕉に入門しました。松尾芭蕉の高弟たちのなかにあって、師の俳風をもっとも純粋に受け継いだ人物として、江戸俳諧史に名を刻んでいます。
代表句として知られるのが「いつまでも見れども飽かず岩燕」や「水仙や寒き都の家家に」などです。師・芭蕉が亡くなったのは1694年(元禄7年)のことで、丈草はその臨終の床にも侍っています。「うづくまる薬の下の寒さかな」は芭蕉の病床を詠んだ句と伝わり、師への深い敬慕がにじみ出ています。また「鶯や餅に糞する縁の先」のように、日常のなかに俳味を見出す句風も丈草の特徴のひとつです。蕉風の本質である「さび」「しをり」を地の文に溶かし込むような詠みぶりが、後世から高く評価されてきました。芭蕉没後も遺風を守り続け、近江の幻住庵に近い草庵「仏幻庵」を結んで俳諧三昧の日々を送りました。別号の「仏幻庵」はこの庵号に由来します。著作には『寝ころび草』『丈草発句集』『駒鳥草』などが残されており、蕉風の清澄な美意識が色濃く反映されています。蕉門十哲とは芭蕉門下で特に優れた十人の俳人を指す呼称で、各務支考・向井去来・服部嵐雪らとともに丈草もその一人に数えられています。
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