幻花忌 (記念日 3月1日)

幻花忌

レイテ沖海戦を生き延びた小説家が、車イスになっても口述筆記で書き続けた——今官一(こん かんいち)の生涯は、そのまま昭和文学の激動史といえます。1983年(昭和58年)のこの日、73歳で死去した。「幻花忌」の名は代表作『幻花行(げんかこう)』に由来し、郷里の青森県弘前市では毎年偲ぶ会が開かれる。弘前は太宰治も生んだ津軽文学の土地であり、今はその文脈の中で育った作家の一人でした。

1909年(明治42年)12月8日、弘前市に生まれ、早稲田大学露文科に進むが中退。横光利一に師事し、古谷綱武らと同人誌『海豹』を、太宰治らと『青い花』を創刊した。太宰との交友は、当時の文学青年たちが津軽という土地に抱いた文学的熱量を示している。「旅雁の章」など3部作で芥川賞候補に挙がり、その名が文壇に広まった。

1944年(昭和19年)、応召。乗船したのは戦艦「長門」——ワシントン海軍軍縮条約で保有が認められた日本の象徴的主力艦であり、連合艦隊旗艦も務めた艦でした。今はレイテ沖海戦に参加し、史上最大規模のこの海戦で生死の境をさまよった。終戦後、長門は米軍に接収されビキニ環礁の核実験に使われて沈んだ。その艦の生存者として書いた『幻花行』『不沈戦艦長門』は、単なる戦記ではなく、消えゆく時代への鎮魂でもあった。戦後は「銀簪」で直木賞候補となり、1956年(昭和31年)、短編集『壁の花』で直木賞を受賞。脳卒中で倒れた後は弘前に戻り、車イスの生活を送りながら口述筆記による創作を続けた。詩集「隅田川」、小説「海鷗の章」「龍の章」「巨いなる樹々の落葉」など、多彩な作品群が残されている。

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