立子忌 (記念日 3月3日)

立子忌

高浜虚子の次女として生まれながら、父に師事して女性俳人の世界を切り開いた星野立子(1903〜1984年)の忌日を、「立子忌」と呼びます。1903年(明治36年)11月15日、現在の東京都千代田区に誕生。東京女子大学高等学部を卒業後、父・虚子のもとで俳句を学び、27歳のとき虚子の勧めにより1930年(昭和5年)に女性初の主宰誌『玉藻』を創刊します。当時、女性が俳句雑誌を単独で主宰することは異例であり、「女流俳壇」という概念を広く定着させるきっかけのひとつとなりました。1932年(昭和7年)には『ホトトギス』同人に加わります。同時代を生きた杉田久女・中村汀女とともに「ホトトギス三女性」と並び称され、さらに中村汀女・橋本多佳子・三橋鷹女と「四T」と呼ばれました。四Tとはいずれも名前または俳号に「T」の字が含まれる4人の女流俳人を指す通称で、昭和の俳壇でそれぞれ独自の境地を切り開いた存在として知られています。立子の俳風は日常の暮らしの中に柔らかな詩情を見出す作風で、「春風や闘志いだきて丘に立つ」のような清澄な句を多く残しました。句集『立子句集』『笹目』のほか複数の著書があります。

1984年(昭和59年)3月3日、80歳で死去。

ゆかりの深い鎌倉市二階堂には2001年(平成13年)に鎌倉虚子立子記念館が開館し、虚子・立子両者の直筆原稿や愛用品、俳句関連資料が展示されています。現在も孫の星野高士が館長を務めており、親子三代にわたる俳壇の歴史を実物資料でたどれる貴重な場となっています。2012年(平成24年)には上廣倫理財団が星野立子賞を設立し、俳句の振興を目的に毎年優れた作品を顕彰しています。