草堂忌 (記念日 3月3日)

草堂忌

「生きる証としての俳句」——そう提唱した俳人・山口草堂(本名・太一郎)が亡くなったのは1985年(昭和60年)2月28日、86歳のことでした。大阪府大阪市に生まれ、早稲田大学文学部独文科に進学しますが、胸の病により中退。7年ほどの療養生活を経て文学の世界へ戻ります。この長い回り道が、のちに俳句への傾倒を深める素地となりました。

俳句に本格的に取り組んだのは1920年代後半のことです。文学仲間と句会を組み「山茶花」への投句を始め、1931年(昭和6年)には水原秋桜子に師事して「馬酔木(あしび)」に参加。秋桜子の写生的・叙情的な俳句観に感化されながら大阪で独自の活動を展開し、大阪馬酔木会を興します。その会報を前身として1935年(昭和10年)に俳誌「南風(なんぷう)」を創刊し、以来、半世紀近くにわたって主宰を務めました。1977年(昭和52年)には句集『四季蘂吟(しょうしょうぎん)』により第11回蛇笏賞を受賞します。蛇笏賞は1967年(昭和42年)に「雲母(きら)」主宰として知られる飯田蛇笏の業績を記念して設けられた俳句界の権威ある賞で、草堂が受賞した時点ではすでに70代後半でした。1979年(昭和54年)には大阪市民文化功労賞も受け、地域文化への貢献が公式に認められました。

1984年(昭和59年)、草堂は「南風」の主宰を鷹谷七菜子に譲り、自身は名誉主宰に就任します。創刊から約50年、雑誌を後進に託したのは死去の前年のことでした。句集には『帰去来』『漂泊の歌』『行路抄』などがあります。「漂泊」「行路」という言葉が句集題に並ぶことからも、長い療養期間を含む生涯を自ら俯瞰していたことが伝わってきます。