新選組の日 (記念日 3月13日)
1863年(文久3年)3月12日、京都・壬生に駐屯していた浪士集団「壬生浪士組」が、陸奥国会津藩主で京都守護職を務める松平容保から「会津藩お預かり」の沙汰を受けました。この日が新選組の実質的な発足日とされており、東京都日野市のNPO法人・日野市観光協会が制定した「新選組の日」として記念されています。
壬生浪士組は、幕府が将軍・徳川家茂の上洛警護を目的として浪士を募集したことに始まります。1863年2月、小石川伝通院に300名近い浪士が集結しました。しかし上洛後、取りまとめ役の清河八郎が「攘夷のため浪士を江戸に戻す」という主張に転じると、大多数はこれに従い帰還します。京都に残留したのは、近藤勇・沖田総司・土方歳三・井上源三郎・斎藤一ら24名でした。彼らは「将軍警護のために上洛した」という当初の意志を曲げず、京都残留を求めて松平容保に嘆願したのです。
松平容保は尾張徳川家の分家・高須松平家の出身で、会津藩9代藩主として京都守護職に就いていました。京都守護職は幕府から押しつけられた激務であり、容保自身も就任を固辞しましたが、最終的には受諾しています。その容保が壬生浪士組を傘下に置いたことで、近藤らは公的な立場を得ることができました。
残留した24名のうち近藤勇・土方歳三・井上源三郎の3人は現在の東京都日野市の出身です。日野市は多摩地域の農村で、近藤らは天然理心流の剣術道場「試衛館」を中心として腕を磨いていました。こうした縁から日野市観光協会がこの日を「新選組の日」として制定し、地域の歴史遺産として顕彰しています。壬生浪士組はその後、同年8月の「八・一八の政変」で御所警備に出動し、尊攘派の公卿や長州藩を京都から追放するクーデターで存在感を示します。この直後に会津藩から「新選組」の名を与えられ、近藤勇を局長・土方歳三を副長とする体制のもと、池田屋事件(1864年)など多くの歴史的事件に関わることになります。