小町忌 (記念日 3月18日)

小町忌

「絶世の美女」として後世に語り継がれながら、その素顔を描いた絵や彫像が現存しない——小野小町は、謎に包まれた存在そのものです。3月18日は、奈良市今市町にある帯解寺が「小野小町の忌日」として伝える日にあたります。ただし帯解寺では月遅れの4月に「小野小町忌」として法要を営んでおり、この日付自体も確実な史料に基づくものではありません。生没年はいまも不詳で、平安時代前期・9世紀頃の人物とされるのが通説です。

小野小町は、六歌仙・三十六歌仙・女房三十六歌仙の三つすべてに名を連ねる歌人です。六歌仙とは、紀貫之が『古今集』仮名序で批評した6人の優れた歌人を指し、小野小町はそのうちの一人として「その心余りて詞たらず、しぼめる花の色なくて匂いのこれるがごとし」と評されました。感情があふれながら言葉が追いつかない、しおれた花がなお香りを放つような歌風、という意味合いです。『古今集』以下の勅撰集には60首余が入集しており、家集として『三十六人集』の一つ『小町集』も伝わりますが、確実に小野小町の作と断定できる歌は多くありません。

歌の特色は、哀感と諧謔が入り混じった不毛の愛を詠む点にあります。「花の色はうつりにけりないたずらに わが身世にふるながめせしまに」(古今集・春・113)は、桜の色が雨に流れるように、自分の美しさも無為に老いてゆくと詠んだ歌で、小野小町の代表作として広く知られています。

平安時代中期以降、その歌才と容貌・老後をめぐる伝説が次々と生まれました。「七小町」と総称される逸話群(卒塔婆小町・通小町・鸚鵡小町など)は能の世界に集大成され、謡曲「卒塔婆小町」「通小町」はとくに有名です。絶世の美女が晩年に零落するという劇的な対比が、能・浄瑠璃・歌舞伎など各時代の芸能に繰り返し取り上げられました。一方で、当時の肖像とされる絵や彫像は存在せず、後世に描かれた絵でも後姿が大半を占め、素顔が描かれていないことが多い点は注目されます。

出生地については、秋田県湯沢市小野とする伝承が広く知られており、晩年も同地で過ごしたという地域の言い伝えが残っています。しかし確証はなく、山形県酒田市・京都市山科区・福島県小野町など全国各地に異説があります。どの地域の伝承も、文献的な裏付けに乏しいのが実情です。実像の少なさが、かえって各地に伝説を呼び込む余地を生んだともいえます。