貝殻忌 (記念日 3月22日)

貝殻忌

「ごんぎつね」は今もなお小学校の国語教科書に掲載され続けている作品です。その作者・新美南吉が29歳で世を去った3月22日は、1934年(昭和9年)に書かれた詩『貝殻』にちなみ「貝殻忌」と呼ばれています。愛知県半田市にある新美南吉記念館では、この忌日を中心に講演会・紙芝居・朗読コンサートなどのイベントが毎年開催されています。

新美南吉は1913年(大正2年)7月30日、現在の愛知県半田市に生まれました。本名は渡辺正八(わたなべ しょうはち)。新美家の養子となります。

文学への目覚めは早く、中学在学中から童話を書き始めます。1931年(昭和6年)、卒業前後に書いた『ごんぎつね』『正坊とクロ』などの童話が、「赤い鳥」主宰者・鈴木三重吉に認められ、児童雑誌『赤い鳥』に掲載されました。この縁で童謡詩人の巽聖歌・与田凖一らが参加する同人誌『チチノキ』にも加わり、多くの童謡を発表します。

その後、東京外国語学校(現・東京外国語大学)英文科を卒業し、地方の女学校で英語教師として勤務します。教壇に立ちながら創作を続け、1942年(昭和17年)には初の童話集『おぢいさんのランプ』を刊行しました。しかし、学生時代から患っていた結核が悪化し、翌1943年(昭和18年)3月22日、29歳の若さで死去します。

南吉の作品は生前に世に出たものが少なく、童話集『牛をつないだ椿の木』『花のき村と盗人たち』はいずれも没後に刊行されました。それでも現代の読者に広く届いているのは、作品が持つ普遍性ゆえです。弱い存在の悲しみや、伝わらないままに終わる心の動きを、静かで透明な文章で描くその作風は、宮沢賢治と並び称せられるほどの近代性を持つと高く評価されています。

「ごんぎつね」のごんが最後に撃たれる場面は、今も多くの読者の記憶に残り続けます。誤解と後悔、つながりたかったのに届かなかった思いを描いたこの物語は、南吉自身の短い生涯と重なるように見えます。貝殻忌は、そうした作品を生んだ作家を静かに偲ぶ日です。