マキノ忌 (記念日 3月24日)
1936年(昭和11年)3月24日、小説家・牧野信一は神奈川県小田原市の実家の納屋で首を吊り、39歳の生涯を閉じました。「マキノ忌」はこの忌日にちなんだ呼称です。神経衰弱に悩み続けた末の自死でしたが、彼が残した作品群は大正から昭和初期にかけての日本文学の一角を確かに刻んでいます。
牧野信一は1896年(明治29年)11月12日、現在の神奈川県小田原市に生まれました。1919年(大正8年)に早稲田大学文学部英文学科を卒業し、同年に同人雑誌「十三人」へ発表した短編「爪」が島崎藤村の目に留まります。この出来事が作家としての出発点となりました。
初期の牧野は『凸面鏡』(1920年)、『父を売る子』(1924年)、『父の百ヶ日前後』(1924年)といった作品で、家族や日常をめぐる陰鬱な心理を描き、着実に文壇での地位を固めていきました。この時期の筆致は重く、内省的な色合いが濃いものでした。ところが中期に入ると、作風は大きく転換します。モダニズムの影響を受けた牧野は、ギリシャ・ローマ神話や中世の騎士物語を下敷きにした幻想世界を次々と描き始め、『村のストア派』(1928年)、『ゼーロン』(1931年)、『鬼涙村(きなだむら)』(1934年)を発表します。豊かな空想性と神話的な広がりを持つこれらの作品は「ギリシャ牧野」と称され、熱心な読者を獲得しました。なお、『地球儀』(1923年)、『西瓜を喰ふ人』(1927年)、『酒盗人』(1932年)なども代表的な著作として知られています。
しかし幻想の時代は長くは続きませんでした。『淡雪』(1935年)や『裸虫抄』(1935年)では再び初期の暗い世界観に回帰し、精神的な消耗が作品にも色濃く滲み出るようになります。
活躍した時代は短く、認知も決して広くはありませんでしたが、幻想文学の系譜において牧野信一の名は繰り返し参照されてきました。明るい神話世界と暗い内省とのあいだを揺れ動いた作家の軌跡は、今も日本近代文学の研究者たちの関心を引き続けています。
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