楽聖忌 (記念日 3月26日)
1827年3月26日の夕刻、ウィーンの空に激しい雷鳴が響いた。病床に伏していたルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは突然目を見開き、右の拳を天に向かって突き上げたのち、静かに息を引き取ったと伝わっています。享年56歳。ロマン・ロランをはじめ複数の証言者が残したその情景は、嵐の夜にふさわしい劇的な幕切れとして音楽史に刻まれました。耳の異変に気づいたのは20代後半のことです。1798年頃から耳鳴りや聴力の低下が始まり、28歳頃には難聴を自覚するようになりました。1802年には遺書とも読める「ハイリゲンシュタットの遺書」を書き残し、「あと6年ほど命が続けば作り上げられるものがある」と自身を鼓舞しています。40代にはほぼ完全に聴力を失いながら、メトロノームを歯で噛んで振動を感じながら作曲を続けたとも言われています。
第九交響曲が完成したのは1824年、難聴が最も深刻だった時期のことです。初演でベートーヴェンは指揮台の前に立ちましたが、実際の指揮は別の指揮者が担いました。演奏が終わってもベートーヴェンには聴衆の拍手が届かず、独唱者に促されて振り返ったとき、割れんばかりの歓声を目の当たりにしたといいます。ピアノソナタ「月光」「悲愴」「熱情」、交響曲「英雄」「運命」「田園」、ヴァイオリン協奏曲、弦楽四重奏曲群など、300を超える作品の多くはこうした苦境のなかで生まれました。
日本で「楽聖」と呼ばれるのは、「楽」が音楽を、「聖」が並外れた偉大さを意味するからです。バッハが「音楽の父」、ヘンデルが「音楽の母」と称されるのと同様に、ベートーヴェンには古典派音楽を完成させ、ロマン派の扉を開いた作曲家として、この称号が与えられました。その死から200年近くが経ったいまも、第九は年末の風物詩として日本各地で演奏され続けています。