誓子忌 (記念日 3月26日)

誓子忌

「ホトトギスの4S」という呼び名がある。昭和初期、水原秋桜子・高野素十・阿波野青畝・山口誓子の四人が俳誌『ホトトギス』を舞台に頭角を現し、近代俳句の基盤を固めた時代の象徴的な呼称だ。しかしその一人である山口誓子が後年たどった道は、師・高浜虚子の写生主義に忠実であり続けることではなく、俳句というジャンルそのものを内側から更新し続けることだった。

1901年(明治34年)、京都市左京区に生まれた誓子の本名は新比古(ちかひこ)。東京帝国大学法学部を卒業したインテリだった彼は、本名の「新比古」をもじった「誓子」という号を用いた。高浜虚子に師事して『ホトトギス』同人となった後、1932年(昭和7年)に第一句集『凍港』、1935年(昭和10年)に第二句集『黄旗』を刊行し、俳壇に強烈な存在感を示す。

誓子の俳句がそれまでの俳人と一線を画したのは、素材の選択にあった。機関車の煙、競泳プール、工場の煙突——従来の俳句が足を踏み入れなかった都市的・人工的な世界を、誓子は臆せず詠み込んだ。「海に出て木枯らし帰るところなし」に典型的なように、感情の吐露を抑制し、対象をありのままに提示する「即物非情」の作風が彼の本領だ。さらに彼は映画理論に注目し、ソビエト映画のモンタージュ技法を俳句に応用しようと試みた。エイゼンシュテインの「衝撃」とプドフキンの「連鎖」を一句・連作に対応させて論じるなど、俳句を映像感覚で構成する視点は当時の俳壇に新鮮な衝撃を与えた。

こうした革新性は必然的に摩擦を生んだ。虚子の写生一辺倒に疑問を呈した水原秋桜子が『ホトトギス』を離脱すると、誓子もこれに従い秋桜子が主宰する『馬酔木(あしび)』へ移った。二人は新興俳句運動の旗手として、俳句に都市・社会・知性を持ち込む流れを牽引する。花鳥風月だけが俳句ではないという主張は、のちの戦後俳句へと受け継がれていく。

1948年(昭和23年)、誓子は西東三鬼・秋元不死男らと俳誌『天狼』を創刊し、のちに主宰した。「酷烈なる俳句精神」という言葉を旗印に掲げ、戦後の混乱と復興の時代を走り続けた。1987年(昭和62年)には日本芸術院賞を受賞、俳句界における長年の功績が公式に認められた。1994年(平成6年)3月26日に逝去。享年92。

20世紀の俳句史を語るとき、誓子の名を避けて通ることはできない。師の流儀を継ぎながらも離脱し、映画・都市・知性という新しい語彙を俳句に持ち込んだその軌跡は、「伝統」と「革新」という問いが常に俳句の核心にあることを教えてくれる。

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