シルクロードの日 (記念日 3月28日)

シルクロードの日

「シルクロード」という言葉は、誰かが正式に制定して広まったわけではない。19世紀のドイツ人地理学者カール・リヒトホーフェンが著書で使い始め、後にスウェーデンの探検家スヴェン・ヘディンが自らの旅行記の書名に採用した。その英訳版『The Silk Road』が1938年(昭和13年)に刊行されて世界中に知れわたるようになったのだが、そのヘディンこそが、砂漠に消えていた幻の都市・楼蘭を現代に蘇らせた人物でもある。

1900年(明治33年)3月28日、ヘディンは中央アジアのタクラマカン砂漠を踏査中に、廃虚と化した楼蘭の遺跡を偶然発見した。厳密には迷子になりかけた際に案内人が持ち帰った木片が発見の端緒だったとも伝わる。翌1901年に再訪したヘディンは、漢文やカロシュティー文字で書かれた木簡・紙文書を大量に収集してヨーロッパへ持ち帰った。専門家による解読が進むにつれ、かつてここに繁栄した都市国家の実像が少しずつ明らかになっていった。

楼蘭はタリム盆地の塩湖「ロプノール」の西岸に位置し、シルクロードの要衝として栄えた都市国家だった。「さまよえる湖」の異名を持つロプノールは流入河川の変化によって湖岸の位置が大きく移動することで知られ、その水を頼みとした楼蘭の命運もまたロプノールと連動していた。4世紀頃を境に水源が失われていくとともに国力は急速に衰え、砂漠に呑み込まれるようにして歴史の表舞台から消えた。

遺跡からは建造物の跡だけでなく、後世の調査でミイラも相次いで発見されている。1979年の発掘では推定3800年前の女性のミイラ、通称「楼蘭の美女」が良好な状態で出土し、世界的な注目を集めた。こうした発見の積み重ねが、楼蘭をシルクロードを象徴するロマンの地として定着させることになった。

シルクロード全体に目を向けると、その総延長は7000キロメートルを超えるともいわれ、中国の長安(現・西安)から中央アジア、ペルシャを経て地中海沿岸にまで及ぶ。絹のほかにも香辛料、ガラス、仏教・イスラム教などの宗教と文化が行き交い、東西文明の架け橋となった。2014年(平成26年)には「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」として一部がユネスコ世界文化遺産に登録され、その歴史的価値が国際的に認められた。砂漠に消えた楼蘭が再び脚光を浴びるたびに、遠い交易路に生きた人々の息づかいが聞こえてくるようである。