週刊誌の日 (記念日 4月2日)
「検閲官が映画を殺すか」「産児調整か生み放題か、死に放題か」——1922年(大正11年)4月2日、日本初の総合週刊誌2誌が同じ日に街頭に並んだとき、その創刊号の目玉記事は現代人が読んでも思わず手に取りたくなる見出しを掲げていました。朝日新聞社の「週刊朝日」と大阪毎日新聞社の「サンデー毎日」、この2誌の同日創刊をもって「週刊誌の日」が定められています。
「週刊朝日」はもともと1922年2月25日に「旬刊朝日」として創刊されました。上・中・下旬の月3回刊行でしたが、ほぼ同時期にサンデー毎日の創刊準備が進んでいることを知り、週刊へ切り替えを決断。4月2日発売の第5号から「週刊朝日」と改題して週刊化しました。一方「サンデー毎日」は大阪毎日新聞の新社屋落成を記念して同日に創刊。創刊号はタブロイド判、定価10銭で印刷部数は34万部に上りましたが、そのうち約3割は無料配布で、実売は23万部程度だったとされています。両誌が手本にしたのは欧米の週刊誌で、「週刊朝日」がモデルにしたのはロンドン・タイムズの日曜版、「サンデー毎日」が参照したのはアイルランドの「サンデー・トリビューン」です。大正時代は都市化と識字率の向上が重なり、新しい活字メディアへの需要が急速に膨らんでいた時代で、新聞社が週刊誌へ進出するのは自然な流れでもありました。
この2誌の競争は「100年戦争」と呼ばれるほど長く続きました。「週刊朝日」の発行部数は最盛期に153万9500部を記録。「サンデー毎日」も長く並走し、日本の言論・文化を担うメディアとして機能してきました。ところが「週刊朝日」は2023年5月、創刊から101年を経て休刊を迎えます。休刊直前の発行部数は約7万4千部と最盛期の約20分の1にまで落ち込んでいました。片や「サンデー毎日」は現在も刊行を続けており、日本最古の現役総合週刊誌という看板を守り続けています。
1922年4月2日という日付は、日本の週刊誌文化の出発点として記念されるだけでなく、2誌が激しい競争を繰り広げながら時代を映し続けた100年余の始まりでもあります。創刊号の挑発的な見出しが示すように、読者の好奇心を引きつける力は、週刊誌がその誕生から変わらず持ち続けた最大の武器でした。