沖縄県誕生の日 (記念日 4月4日)
1879年(明治12年)3月27日、内務省官吏・警察官・軍兵合わせて500名以上を率いた内務大書記官の松田道之が首里城へ乗り込み、琉球藩の廃止と沖縄県設置を命じる布告書を読み上げました。翌4月4日、この措置は全国に正式布告され、ここに沖縄県が誕生しました。
琉球王国はもともと、17世紀初頭に薩摩藩の侵攻を受けてその支配下に入りながらも、清国への朝貢関係を維持する独自の二重外交を続けてきました。明治政府は1872年(明治5年)に琉球国を廃して琉球藩を設置し、琉球国王・尚泰を琉球藩王に任じることで日本への帰属を一方的に宣言しました。しかし尚泰王はこれに抵抗し、「日本は父、清は母」として両属体制の維持を求める嘆願を日本政府に14度にわたって提出したほか、清国に秘密の使節を送って救済を訴え続けました。清国の在日公使も日本の措置に強く抗議しましたが、明治政府はこれを退けて廃藩を断行しました。
この一連の経過は「琉球処分」と呼ばれています。
沖縄県の初代県令には、肥前・鹿島藩の旧藩主である鍋島直彬が任命されました。鍋島は旧慣の温存方針を打ち出し、土地制度・税制・地方制度をすぐには変えず、教育・産業の振興を優先する姿勢を示しました。その背景には、強引な廃藩に反発する旧士族層を刺激しないよう配慮する政治的判断がありました。廃藩後も尚泰は東京に召喚されて侯爵に叙され、王族としての地位は形式的に保たれましたが、政治的権限は完全に失われました。
この日付(4月4日)をもって、沖縄県では「沖縄県誕生の日」と定めています。日本最南端に位置するこの県は、独自の歴史的経緯を経て近代日本の行政機構に組み込まれました。