ヘアカットの日 (記念日 4月5日)

ヘアカットの日

「ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」――明治初期に流行したこの洒落は、新しい時代の到来を髪型で表現した言葉でした。3月4日の「ヘアカットの日」の由来は、断髪をめぐるある奇妙な禁止令にあります。

1871年(明治4年)8月、明治政府は「散髪脱刀令」を発布しました。「散髪・脱刀はそれぞれ個人の勝手たるべし」とする内容で、武士が江戸時代から守り続けてきた丁髷(ちょんまげ)を切り、帯刀をやめることを国が公式に認めた布告でした。ただしこれはあくまでも「してもよい」という自由令であり、強制ではありませんでした。しかし「文明開化」の波に乗って断髪に踏み切る男性は増え始め、特に1873年(明治6年)に明治天皇みずから断髪すると、士族・官吏から庶民へと急速に広まっていきました。東京では、大久保利通が内務卿として断髪すると翌日には省内全員がざんぎり頭になったというエピソードも残っています。

この散髪脱刀令はもともと男性を対象としたものでしたが、世の空気は女性にも影響を与えました。「男性が断髪してよいなら、女性も同じはず」と受け取る女性が現れ、短髪にする者が続出しました。

これを受けて、翌1872年(明治5年)3月4日、明治政府は「女子の断髪禁止令」を発布しました。「男性に限って許可した断髪を女性が真似てはならない」という趣旨の禁止令で、当時の政府が髪型に込めた性別規範の強さを如実に示しています。記念日はこの禁止令が出された日に由来するとされますが、制定した団体や具体的な目的は明らかになっていません。

ちょんまげが消え、ざんぎり頭が広まるまでには意外に時間がかかりました。東京市内での断髪率は、明治8年頃には25%ほどに過ぎず、100%に達するのは明治20年代のことだったといいます。髪型ひとつをとっても、近代化とは一夜にして成し遂げられるものではありませんでした。