1994年のルワンダにおけるジェノサイドを考える国際デー (記念日 4月7日)

1994年のルワンダにおけるジェノサイドを考える国際デー

1994年4月7日から100日間で、ルワンダでは約80万人から100万人が組織的に殺害されました。当時の総人口の10%以上に相当します。

ルワンダにはフツ族とツチ族という二つの主要民族が暮らしていましたが、植民地時代にドイツやベルギーの統治下で両者の分断が制度化されました。ベルギーは1932年にIDカードで民族区分を明記させ、支配の都合によってツチ族を優遇したり、独立に際してはフツ族を支持するなど、その対立を深める政策をとりました。独立後にフツ族主導の政権が誕生すると、ツチ族への迫害が繰り返されました。

1993年(平成5年)、長年の内戦に終止符を打つアルーシャ和平合意が結ばれましたが、翌1994年4月6日夜、フツ族のジュベナル・ハビャリマナ大統領が乗った飛行機がキガリ空港上空で撃墜され、大統領は死亡しました。翌7日から、大統領警護隊と暴徒化したフツ族の民兵組織「インテラハムウェ」が一斉に動き出し、ツチ族および穏健派フツ族の住民を標的とした殺害が国内各地で始まりました。

国際社会の対応は遅れました。国連平和維持軍はルワンダに駐留していましたが、中立の立場を理由に介入を許可されず、主要国は自国民の退避を優先しました。「ジェノサイド」という言葉の使用そのものを各国政府が避けたとも指摘されています。虐殺が終結したのは、ツチ族主体の反政府勢力「ルワンダ愛国戦線(RPF)」が7月に全土を制圧したことによるものでした。

虐殺後のルワンダでは、民族の区別を公的に廃止する政策が進められました。地域社会が主体となった「ガチャチャ法廷」が設けられ、加害者の審理と社会復帰が図られています。国連は2003年の総会決議により、虐殺が始まった4月7日を「1994年のルワンダにおけるジェノサイドを考える国際デー」として制定しました。この日は犠牲者を追悼し、ジェノサイドという行為の防止を国際社会に呼びかける機会と位置づけられています。