虚子忌 (記念日 4月8日)
生涯に20万句を超える俳句を詠んだとされる俳人・高浜虚子が、1959年(昭和34年)4月8日、神奈川県鎌倉市由比ガ浜の自宅で85歳の生涯を閉じました。この日が「虚子忌」として知られます。椿を愛したことから「椿寿忌(ちんじゅき)」とも呼ばれ、その法名「虚子庵高吟椿寿居士」にもその想いが刻まれています。1874年(明治7年)2月22日、現在の愛媛県松山市に生まれた高浜虚子。本名は清(きよし)といいます。中学時代から1歳上の河東碧梧桐と交流を深め、碧梧桐の紹介で正岡子規に師事。子規から「虚子」の号を授かりました。その名は本名「清(きよし)」の音に由来するものです。
1897年(明治30年)、子規の協力のもと柳原極堂が松山で創刊した俳誌『ほとゝぎす(ホトトギス)』を引き継ぎ、東京へ移転。俳句だけでなく和歌や散文も加えた俳句文芸誌として再出発し、夏目漱石らからも寄稿を受けるなど、近代文学の中枢に位置する媒体へと育て上げました。1910年(明治43年)には国民新聞社を退職し、以後は『ホトトギス』の編集と創作に専念します。
俳句の世界では、碧梧桐が推進した「新傾向俳句」に真っ向から異を唱え、定型と季語の伝統を守ることを主張し続けました。1927年(昭和2年)には「花鳥諷詠」「客観写生」という理念を提唱。自然をありのままに詠むこの姿勢は『ホトトギス』の精神的支柱となり、山口誓子・水原秋桜子・阿波野青畝・高野素十ら「ホトトギス四Sの俳人」をはじめ、数多くの俳人を世に送り出しました。
1937年(昭和12年)に芸術院会員、1954年(昭和29年)には文化勲章を受章。句集『虚子句集』『五百句』、俳論書『虚子俳話』、小説『鶏頭』『俳諧師』など著作は多岐にわたります。墓所は鎌倉市扇ヶ谷の寿福寺。2000年(平成12年)には長野県小諸市に小諸高浜虚子記念館、兵庫県芦屋市に虚子記念文学館が開館し、その業績は今日も語り継がれています。
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