大仏の日・大仏開眼の日 (記念日 4月9日)

大仏の日・大仏開眼の日

752年4月9日、奈良・東大寺の大仏殿に1万人を超える人々が集いました。インドから遠路招かれた高僧・菩提僊那(ぼだいせんな)が長大な縷(いと)のついた筆を手に取り、盧舎那仏の瞳に筆を入れた瞬間、日本史上最大規模の仏像に「魂」が宿りました。これが大仏開眼供養会(かいげんくようえ)です。当時の日本は天然痘の大流行、相次ぐ政変や反乱、大地震など深刻な社会不安が続いており、聖武天皇は仏法の力で国家を安定させようとする「鎮護国家」の思想のもと、全国に国分寺の建立を命じ、天平17年(745年)に東大寺の大仏造立を本格化させました。

制作は難航を極めました。当初は現在の滋賀県甲賀市にあたる紫香楽宮付近で造立が始まりましたが、山火事が相次いだために計画は中止され、平城京の東大寺へと場所を移して改めて着工しています。完成までの7年間、仏師・国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)をはじめとする多くの職人が関わりました。鍍金(ときん)に用いた水銀の毒性は深刻で、中毒で命を落とした作業員も少なくなかったといわれており、被害を専門とする救護院まで設けられていたと記録されています。現代の感覚では想像しにくいほど過酷な現場が、この大仏を支えていました。

開眼供養会には孝謙天皇・聖武太上天皇・光明皇太后という皇室の中枢が勢揃いし、文武百官と僧侶1万人が参列しました。菩提僊那が筆を入れると、縷に触れた列席者全員が大仏と結縁したとされます。五節・久米・楯伏・踏歌など多彩な歌舞も奉納され、「仏法が日本に伝わって以来、未曾有の盛儀」と記録されています。

完成した盧舎那仏坐像は、座高約15メートル、顔の長さ約5メートル、目の長さ約1メートルという圧倒的な規模です。盧舎那仏とは宇宙そのものを体現する仏であり、開眼供養で使われた筆や遺品は正倉院に奉納されています。

ただし、現在の大仏の大部分は当初の姿ではありません。平安時代の兵火、戦国時代の戦乱と、二度にわたる大規模な焼損を受けて修復・補作が繰り返されました。奈良時代の制作当初から残る部分はごくわずかですが、「銅造盧舎那仏坐像」として国宝に指定され、世界遺産「古都奈良の文化財」の一部として今日に至っています。