ボーイズビーアンビシャスデー (記念日 4月16日)
「Boys, be ambitious.(少年よ、大志を抱け)」——この言葉が生まれたのは、1877年(明治10年)4月16日のことです。北海道・島松の地で馬上のクラーク博士が見送りの学生たちに投げかけたこの一言は、150年近い時を経た今も日本人の胸に響き続けています。その別れの日を記念して、4月16日は「ボーイズビーアンビシャスデー」と呼ばれています。ウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)は1826年、アメリカ・マサチューセッツ州に医師の子として生まれました。アマースト大学を卒業後にドイツへ留学して博士号を取得、南北戦争では北軍として奴隷解放のために戦い、その後マサチューセッツ農科大学(現:マサチューセッツ大学アマースト校)の学長へと上り詰めた人物です。そのクラーク博士が日本政府の熱烈な招聘に応え、50歳のときに太平洋を渡ります。
1876年(明治9年)8月14日、日本初の官立農学校として札幌農学校が開校しました。クラーク博士は農学校の初代教頭として赴任し、わずか16人の第一期生に英語で講義を行いました。規則や取締りに頼らず「紳士たれ(Be gentleman)」という理念を掲げ、学生の自律性を重んじた教育方針は当時の日本では画期的でした。また、聖書を学生たちに配り、キリスト教の精神とともに科学知識を伝えるそのスタイルは、後の北海道の知的・精神的土台に深く刻み込まれていきます。
在任期間はわずか8ヶ月あまり。マサチューセッツ農科大学の1年間の休暇を利用した赴任だったため、翌1877年の春には帰国しなければなりませんでした。別れを惜しんで見送りに来た教え子たちを前に、馬上から振り返って放った言葉が「Boys, be ambitious.」です。当初は「元気でやれよ」に近い軽い激励だったとも言われていますが、学生たちはその短い一言にクラーク博士の生き方そのものを読み取り、名言として後世へ語り継いでいきました。
帰国後のクラーク博士の人生は、順風満帆とはいえませんでした。洋上大学の開学計画は頓挫し、鉱山経営にも失敗して多大な借金を抱えます。かつての名声も失い、失意の中で1886年(明治19年)に60歳で生涯を閉じました。しかし臨終のとき、「札幌での8ヶ月だけが、天の神に報告できる仕事だった」と語ったと伝えられています。その言葉通り、札幌農学校からは新渡戸稲造ら日本の近代化を担う多くの人材が巣立っていきました。
「大志を抱け」と言い残した人物の晩年が、必ずしも輝かしいものではなかったという事実は、この名言に皮肉な深みを与えています。それでもなお言葉が生き続けるのは、クラーク博士が北海道で見せた教育者としての情熱と誠実さを、学生たちが確かに受け取ったからでしょう。4月16日のボーイズビーアンビシャスデーは、その別れの瞬間を忘れないための日です。