雄老忌 (記念日 4月16日)
1993年(平成5年)4月16日、小説家・藤枝静男が85歳で亡くなりました。肺炎のため神奈川県三浦半島の療養所での死でした。出身地の静岡県藤枝市では毎年この日、同市五十海の岳叟寺にて墓前祭「雄老忌」が開催されます。命名者は同じく藤枝市出身の小説家・小川国夫です。
藤枝静男は1907年(明治40年)12月20日、現在の藤枝市に生まれました。本名は勝見次郎。家業は薬局を営む家柄でした。名古屋の第八高等学校(八高)に進学し、そこで平野謙・本多秋五と知り合い、生涯にわたる友情を育みました。のちに千葉医科大学を卒業し、眼科医の道へ進みます。
戦後は浜松市に眼科医院を開き、診療のかたわら文筆活動を本格的に始めました。平野謙・本多秋五らに勧められ、戦後派の文芸雑誌『近代文学』に作品を発表。1947年の『路』に続き、1956年には『犬の血』を同誌に寄稿しました。これらの作品で文壇から注目を集めます。
転機となったのは1961年発表の『凶徒津田三蔵』で、広く認められるきっかけとなった作品です。1967年には『空気頭』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。その後も1976年の『田紳有楽』で谷崎潤一郎賞、1979年の『悲しいだけ』で野間文芸賞を受賞するなど、晩年にかけて主要な文学賞を次々と獲得しました。
藤枝静男の文学は、私小説の形式を基盤としながら、幻想・奇想の要素を組み合わせた独自の世界観を持ちます。師と仰いだ志賀直哉の影響を受けつつも、冷徹な観察眼と虚実の境を行き来するような作風は、私小説の枠組みを拡張するものとして評価されてきました。眼科医として日常的に「見る」行為を専門とした人物が、文学においても鋭い視線で自他を捉え続けたことは、その作品の質感と無縁ではないでしょう。
没後も藤枝市では「雄老忌」として命日を継承し続けており、地元ゆかりの文学者として後世に伝えられています。
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