哲学の日 (記念日 4月27日)
紀元前399年4月27日、アテナイの哲学者ソクラテスは、友人たちに見守られながら静かに毒杯をあおり、70年の生涯を閉じました。「悪法も法である」という言葉を残し、脱獄の勧めを断ったとされるこの最期は、ただの処刑ではありません。哲学の始まりとも言うべき、一人の人間の思想的確信による死でした。
ソクラテスは、石工の子として生まれ、戦場にも出た普通の市民でした。しかし彼は、知恵者と名高い人々のもとを次々と訪ねて問答を重ねるうちに、ある確信を得ます。「この人は知らないのに、知っていると思っている。私は知らないが、知らないということを知っている」。自らの無知を自覚することこそが真の知の出発点であるという「無知の知」の思想は、こうした地道な問答の実践から生まれたものです。彼が街頭で行っていた「問答法(エレンコス)」は、相手の矛盾を引き出しながら真理へと近づく対話の技法であり、ソクラテスはそれを「産婆術(マイエウティケー)」と呼びました。自らは何も産み出さず、相手の中に眠る真理を引き出すという姿勢です。
しかし、そうした問答はアテナイ市民から歓迎されませんでした。知識人や政治家の無知を暴く行為は、多くの人々の反感を買いました。紀元前399年、ソクラテスは「国家の認める神を認めず、新しい神を持ち込み、若者を腐敗させた」という三つの罪状で告発されます。陪審員501名による多数決で死刑が確定し、友人のクリトンは逃亡を勧めましたが、ソクラテスはこれを拒みました。法に従わずに逃げることは不正であり、「単に生きるのではなく、善く生きる」という自らの信念に反するというのが理由でした。
ソクラテス自身は一切の著述を残しませんでした。その思想は、弟子のプラトンが書いた対話篇や、クセノポン・アリストテレスの著作を通じて後世に伝わっています。ソクラテスの死から2400年以上が経った今も、「善く生きるとはどういうことか」という問いは色褪せません。また、4月27日は同日に「悪妻の日」でもあります。ソクラテスの妻クサンティッペが古来より悪妻の代名詞として知られてきたことに由来します。哲学史上最も有名な死が、こうして複数の記念日を同じ日に刻んでいるのは、歴史の皮肉とも言えます。