主権回復の日・サンフランシスコ平和条約発効記念日 (記念日 4月28日)

主権回復の日・サンフランシスコ平和条約発効記念日

1952年(昭和27年)4月28日、前年9月8日にサンフランシスコで調印された「日本国との平和条約」(サンフランシスコ平和条約)が発効しました。これにより、1945年(昭和20年)の敗戦から約6年半にわたったGHQによる占領が終結し、日本は独立国としての主権を回復しました。

条約は、アメリカ合衆国をはじめとする49か国(ソ連・チェコスロバキア・ポーランドの3か国は署名せず)と日本との間で締結されました。中華人民共和国・中華民国も会議に招かれておらず、のちに「片面講和」と呼ばれるかたちとなりました。日本側の全権代表は吉田茂首相が務め、講和条約と同日に「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧日米安保条約)も調印されました。条約の主な内容としては、日本による朝鮮の独立承認、台湾・澎湖諸島・千島列島・南樺太・南洋諸島などに対するすべての権利・権原・請求権の放棄が規定されました。また、琉球諸島(沖縄)と小笠原諸島はアメリカの施政下に置かれることとされ、日本の施政権は当面及びませんでした。賠償については現物賠償を原則としつつも、東南アジア諸国との二国間交渉に委ねるかたちをとり、対象国以外への賠償金の支払いは原則免除されました。

この条約をめぐっては、当時から国内外で異論がありました。ソ連が署名しなかったことにより北方領土問題は解決されないまま残り、領土条項の曖昧さは竹島問題や尖閣問題の遠因ともなりました。国内でも、全交戦国との講和を求める「全面講和論」と、西側諸国との早期独立を優先する「単独講和論」が対立し、社会党は条約に反対票を投じました。

また、日本の主権回復と引き換えに米軍基地の継続使用が認められた沖縄では、この4月28日を日本本土から切り離された「屈辱の日」として位置づける見方が根強くあります。2013年(平成25年)、政府は主権回復60周年を記念して憲政記念館で式典を初めて開催しましたが、こうした沖縄の反発を受け、式典から祝賀的な要素は除かれました。